先日、123人がドラフト会議で指名されました。華やかで、めでたい日です。その一方で、ドラフトの数日後から100人以上が戦力外通告や自由契約選手になります。ところてんと同じ、入れた分だけ出ます。非情で厳しい世界です。また、広島1位の栗林選手のように、大学時に指名確実と言われながらドラフト指名されなかった数多くの選手達もいます。
残念ながら、本校OBの藤井皓哉も戦力外通告をうけました。6年間、たくさん夢を見させてもらえました。一軍で投げてるのを見て、声をあげてました。彼は、県大会にも出場できない中学校の選手でした。入学時には、声も小さくエネルギーの弱い選手だなぁと思ってました。1年生の冬、日にちも覚えています2月3日です!色んなドリルを試して3ヶ月、ブレークスルーの日が来ました。投げた瞬間、指先から光の矢が放たれたようでした。直感で、プロに行くと感じました。2年生の春は滅多打ちにあい、夏は3回戦の倉敷商戦の最終回に投げました。試合後、本部席や森光監督から『誰やあれ、140出てる』と言われてから、夏休みには142。冬を越え、春の県大会でベスト4、145キロ、夏は2回戦敗退も147キロ、9月には150キロに到達。結果は順調に見えますが、地味な練習をよくやりましたし、雨で練習がない放課後に、私の車の中で妻が作ったミニ弁当(四時飯のもと)を食べたりしてました。そんな藤井から先日、連絡があり、おそらく戦力外通告だと伺ってました。ドラフトで4人も右投手を指名されていたので、危ないなぁと思ってたので様子見のLINEした数日後でした…。戦力外通告の速報がネットに流れた後、お世話になったスカウトの方々にお礼の電話をしたのですが、一通り話した後『監督、藤井はどこにおるか知っとる?』と聞かれたので、寮の整理かと答えましたが、藤井はスタジアムの監督室近くの廊下で監督の手が空くのを直立不動で待っとるよ、いい男やと言われて…目が赤くなりました。最後にお礼を言うためです。数日後、藤井がグラウンドに来てくれました。落ち込んでるから、なんて声を掛けようかと前日の夜にシュミレーションしましたが、そんな必要ありませんでした。もちろん、心中では複雑な思いでしょうが…。目には力が戻り、次を見てました。12月の合同トライアウトに挑戦するとの事でした。もちろん、私も台湾・メキシコ・ドミニカ・イタリア、アイランドリーグ…色々な方にアクションしてます。まだまだ終わりません!困難が人を強くします。彼のグローブには、『神様は、乗り越えられる者にしか試練を与えない』と刺繍されてます。まだまだ2回の裏に入るところ、勝負はこれからです。
今いる部員の多くは、本校が甲子園に行ったのを見た、もしくは甲子園に行ける可能性があるから来た世代。その甲子園に行った小松や有本は、藤井がプロ野球選手になったのを見て来た世代。つまり、今いる選手達は、藤井皓哉がいたから、いるのです。人は縁の中で生きてます。いちいち、凹んでいられません!チャンスは前にしかない!人の縁を大切にしている人は必ず幸せになります! さぁ、これからや!ワクワクしてきた!県大会で負けただけで、落ち込んでる場合じゃない、OBに負けてられません!真っ赤な紅葉のように、燃えてきました!
2020.11.08硬式野球
さぁ、どうする!